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20113/19

3月22日(火)の第三十二回「火曜だがね」は「震災から考える足利」です。


東北地方太平洋沖地震により被災された皆さまに謹んでお見舞いを申しあげます。

栃木県足利市は震度5強でしたが、新聞・テレビの報道は被害の大きかった地域が中心です。そこで、足利テレビでは今回の震災について足利市民の視点を取り上げます。

「こうすれば良かった」「こうしたから大丈夫だった」「この備えをしておいたから助かった」など、個人的な体験談をお寄せください。番組としては30分程度を予定しておりますが、お寄せ頂いた体験談は足利テレビホームページ上で公開させて頂きます(匿名希望の場合その旨をお伝えください)。また、体験談をまとめて足利市へ送り、今後の防災対策に役立てて貰えないか伝えます。

今回の放送開始は計画停電の関係から3月22日(火)午後9時からの予定です。

足利テレビへお送り頂きたい内容

  • 「こうすれば良かった」「こうしたから大丈夫だった」「この備えをしておいたから助かった」など、個人的な体験談
  • 停電時の過ごし方(小さいお子さんのいる家庭ならではの情報を特に募集します)

番組の視聴ページ

お寄せ頂いた情報

体験談

(羽川大輔さんより)
元学町の我家は地震当日、停電あり、断水なし、ガス供給あり、です。
あって良かったグッズ
・手回しで充電できる懐中電灯&ラジオ
・コンロで炊ける釜
・自転車  基本我家は自転車家族

(iwacchaさんより)
地震時、職場で机の下にもぐったため、落下物などで怪我をしないですみました。地震で落下しそうなものはなるべく高いところに置かないほうがいいですね。また、災害時は停電が発生するため固定電話が使えなくなることが多く、携帯電話が役立ちます。充電をまめにしておくのがいいと思いました。また私の場合は手回し式の充電池が付いたラジオが役立ちました。こういったものを保有しておくことも有効だと思います。このラジオは携帯電話と専用ケーブルでつなげば充電もできます。

(浜田陽一さんより)
地震発生当時からの体験を記載しますが長くなるのでご了承ください。ちなみに画像はWOOOPS!イオンモール太田店の天井から突き出した鉄骨です。今は補修されています。
地震のときは4Fの自宅で遅い昼食を取っていました。いつもより大きい地震だなと思い水槽が揺れるのを抑えました。でもいつまで経っても揺れが収まらない、それより段々大きくなってこれでもかと揺れ続ける。食器棚の食器棚の食器が飛び出す、本棚の本が崩れる、あちこちから物が割れる音が。これまで見た様々な地震の映像や映画のシーンが浮かんでは消え、これまでか!と思った時にやっと揺れが収まり始めました。急いで1Fの売り場に行くと天釣りのTVモニターが落ちて割れていました。道路には人が飛び出し騒いでいます。どこが震源地?いったいどれほどの地震かと調べると宮城県沖という情報が・・・あの大きさで宮城県沖!仙台はいったいどうなったんだ?
それより支店はと太田と宇都宮に電話をしても携帯も固定電話もつながらない。そんな事をしながらも大きな余震が何度も襲ってくる、尋常じゃない。不安で蒼ざめている自分を感じました。

夕方から発生する停電直前に市役所から北関開通イベントが中止になったと電話が入りました。その当時は震災の全貌が分からなかったため地震以上に最悪の事態になったと感じました。停電になったため車で関係者の自宅を回って連絡を続けました。なにしろ1000食分の焼きそばを手配したんですから。頭にLEDのカンテラを付けて一店一店回りましたが何しろ停電で真っ暗、自宅にいるのか分からないからうろうろしていたらただの不審者です。
その夜は一晩停電。こんなことは生まれて始めての経験です。家族で懐中電灯を集めて非常持ち出し袋も探し出してワンセグを見ながら過ごしました。コンビナートの爆発、津波で押し流された家々。でもこの時の情報はまだまだ序曲であることが翌日以降分かるこちになります。

翌日は支店のスタッフを総動員して売り場の掃除、補修作業。驚いたことに宇都宮の店舗はほとんど被害を受けていません。宇都宮店は1F、太田店は2Fであることが被害の大きさを分けたようです。午後から逸品堂にて北関イベント中止を受けての処理方法を討議。イオンは12日休業のみで翌日の日曜日は通常業務に戻りました。
逸品堂では13日に焼きそばやソースカツバーガーを原価で販売。安く売れるものは積極的に持ち込んでもらいました。こういった災害の場合は食品などは足りなくなる場合が多いと思っての処置です。お客様はたくさん集まっていただきました。昼時には多すぎて焼きそば作りが間に合わないという状況も・・・だがね組の皆さんにもご協力頂きほとんど完売できましたありがとうございます。
13日はイオンもお客様が多く、地震の影響が感じられない日でした。

異常になってきたのは福島原発の状況の悪化と15日からの計画停電。この2つのストレスは想像以上のものとして我々に襲い掛かっています。それからのニュースはみなさん共有していますね・・・。

ツイッターでも書きましたが今は日本中が一種のショック状態に陥っています。たぶん私も今でもショック状態であると思います。そうでなければわずか三日間でイベントの残務処理、支店の復旧、本店の業務、スタッフ全員へのメール配信、一週間分の仕事量に匹敵する事が出来なかったと思います。

今世間で起きている買いだめ、ガソリン渋滞などはこのショック状態から来る代償行動だと思います。
コミックを引き合いに出すのはなんですが、分かりやすく言うと「鋼の錬金術師」のテーマ「等価交換の法則」。何かを得るためには何かを失う。

これまで経験したことが無いほど大きなものを失った我々は必要以上のものを得なければ精神的なバランスを取るこちが出来ないのです。買いだめは本能がなせる業なのでしょう。

一番可哀想なのは被災した子供たち。あるテレビ番組の取材で被災者のお母さんが避難所で申し訳なさそうに「・・あと子供におもちゃがあればね」とおっしゃっていました。大人たちは日々の食料や暖を取るのに必死。子供たちはそんな姿を見ているのでおもちゃが欲しいなんて言えないでしょう。
大人でも不安な生活に停電。子供はどんなに怖いでしょう。
今日から逸品堂を中心に折り鶴の千羽鶴を始めました。小さな男の子が100羽も折って、もっと折ると言ってくれました。実はこれも不安から来る代償行動。だから思いっきりたくさん折って欲しい、被災者のためにも我々のためにも。

長文失礼いたしました。
まだまだこれからが長い復興の始まりです。ゆっくり慌てず、ただししっかりと前を見て進まなければなりません。
だがね組の皆さんも頑張ってください。

(大黒屋酒店さんより)
「こうすれば良かった」

昔ながらのマッチでつける「石油ストーブ」を危ないからという理由で処分してしまったのだが、後悔しました。ファンヒーターは、停電時ただの箱になってしまった。
今まで「じゃまだ!じゃまだ!」と言われ続けた、登山で使う「ランタン(ランプ)」と「ラジウス(ガスコンロ)」が大活躍でした。停電&ガス停止の状況でも、温かい物を採ることが出来ました。

(匿名希望)
うちのトイレは、一階も二階も同じで、タンクレスの全自動トイレです。停電になるとバケツに水を用意します。今回のような「停電だけど水は出る」という状況ならば、1・2階のうちどちらかを、普通の、タンクに水を貯めてレバーで流すタイプにしておけばよかったと思いました。

(匿名希望)
今回の地震当時に役立ったのは『ケータイメール』『友人の実家の電話番号』『転倒防止器具』です。

東京に住む静岡県と愛知県出身夫婦の家具に転倒防止器具がついているのを見習いました。
おかげで本箱が動いただけで、転倒なしでした。
東海地方に住んでいた彼らにとっては『転倒防止器具は当たり前』とのこと。小さい時から地震に対する教育されているんだなと感じてました。

もちろん停電時に『手回しラジオ、懐中電灯、ろうそく』と、断水するお宅に伺う時に『水筒』も大活躍してます。

私が防災について意識したのは、16年前。ケータイやネットのない時代です。

1月『阪神淡路大震災』で、関西の友人になかなか連絡が取れずにとても心配しました。関西に電話が集中して、電話をかけることが迷惑と知り、しばらく間を置いて友人の実家で安否確認をしました。

それから6年後に研修先であった淡路出身の人が、枕元にメガネと靴を準備してから床に就くのを見て、震災にあった人の中にある不安について聞かせてもらいました。

『まさか栃木ではないだろう…』と本気で思ってましたが、無事だった友人たちの体験を聞き『念のため』と少しずつ非常時に使えそうなものを用意していきました。

ラジオ、懐中電灯、ろうそく、黒いポリ袋、メガネ、靴、卓上コンロ、飲み物、携帯毛布、10円玉、電話リスト(友人の実家も含めて)…などです。

そして3月、私は都内の動かない満員電車の中にいました。サリン事件の朝です。
それ以来『もしかしたら』という気持ちがどこかにあり、移動時は飲み物を持っていくことや靴に気を使ってしまいます。

今回、都内にはいませんでいたが、都市での交通マヒや天災や事件に合う怖さを体験しました。

今は16年前に比べ便利なものが増えたおかげで、防災準備品については揃えるものも違うかもしれませんね。

気にしすぎ、心配しすぎは、日常を窮屈にしてしまいますが、小学校で防災訓練をしたように『想像する』ことは大事なことだと思います。

そして、大切な人といざという時のことを話しあっておく必要もあると思います。

(音瀬さんより)
はじめまして。
この震災をきっかけにTwitterをはじめて、この番組を知りました。

今回停電で一番役に立ったのは庭先にさしていたソーラーライトです。
昼間に太陽で充電しておけば、夜の停電時に使えて便利。
意外とみんな庭にあるのに「屋内に入れる」という発想に至らなかった、という方が私の周りには多かったです。

あと、過ごし方ですが、最近は携帯(mixi)を使って友達としりとりをしています。
意外に白熱して楽しいですw

停電時の過ごし方

(大黒屋酒店さんより)
キャンドルの明かりでムーディーにして楽しんでます。
揺らめく明かりが、とても綺麗です。
ただ、火の用心ですけどね。

(浜田陽一さんより)
停電のときに役立ったアイテムです。
●LEDカンテラ(頭に付けるタイプ)
●ラジオ
●IS01(ワンセグ使用)
●ツイッター
●ガス(停電時に鍋でご飯が炊けました)
●ヒートテック(防寒)

(匿名希望)
夜の停電の時は、隣町第4地域の日帰り温泉へ、カミサンと二人で食事をして温泉入浴して帰って来ました。

(羽川大輔さんより)
懐中電灯を使って影絵を作って遊びました(^?^)ノ犬、カニ、鳥、キツネなど、ぬいぐるみを使ってもなかなか楽しかったですよ。
アロマキャンドルは香りもよく、3時間持つので良かったですよ(^O^)/


※この記事に掲載されている情報は取材当時(2011/03/19)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。

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