© あしかがのこと。 All rights reserved.
いちご発祥の地記念碑がある足利のいま
足利市福居町に、「栃木県苺発祥之地」の記念碑が建立されていることを知っていますか。収穫量47年連続で日本一のいちご生産を誇る栃木県ですが、まさか足利がいちご発祥の地だったなんて。「栃木県いちご発祥の地」と記されたいちごの包装パッケージを手に取ったことが知ったきっかけです。さらに調べていくといちご農業に大きな問題が立ちはだかっていることが分かりました。
「栃木県いちご発祥の地」の石碑はどこにある?
大久保町にあるJA足利アグリランド株式会社 いちご農園の中島浩二園長に、いちごの歴史について伺いました。明治45年(1912年)足利郡御厨町(現在の足利市)に生まれた仁井田一郎(にいた いちろう)さんは、栃木県へのいちご栽培の導入や、新しい栽培方法の開発など、栃木のいちご栽培の基礎を築いた一人で、栃木県で最初にいちごの栽培に成功したのは足利だといわれています。仁井田さんは、いちご産地化に尽力し生涯をいちご一筋に捧げました。仁井田家の敷地内には、「栃木県苺発祥之地」の記念碑が、当時の栃木県知事 渡辺文雄氏の揮毫(きごう)により建立されました。
「子どもに農業を継がせたいと思えない」農家の高齢化と後継者不足
園長に紹介していただいたいちご生産者のお話から、いちご発祥の地だったとは思えない足利のいちごの現状を知りました。
栃木県内のいちご生産面積は真岡市がダントツの1位(168ha、2位の栃木市が65ha)を誇り、足利市は10位前後。足利市のいちご農家は全盛期の10分の1ほどに減り、現在は約40戸。高齢の方が多く平均年齢は70代で、50代でも若手と言われています。忙しくて病院に行くこともままならず、体力や体調の限界で辞める方、数年後に辞めることを見据えている方も少なくない状況だそうです。また、こんな苦労をするのかと思うと、かわいそうでお子さんに農業を継がせたいとは思わないとも言っていました。
いちごならではの農家の苦労
傷つきやすい繊細ないちごは、例えばコンテナに入れてまとめて出荷ができるトマトと比べて収穫から出荷までとても手間が掛かります。選別しながらのパック詰めは、機械化が難しく手作業で行っています。
作物の日々の管理も大変で、水やりや毎日の温度管理は必須にもかかわらず、農家のご主人の経験やカンを頼りに行われています。一時的に他の農家に任せたいと思っても、毎日見ていない別のハウスの温度をその日だけ判断することは難しく、代われる人がいない現状では、どうしてもご主人ひとりの負荷が高くなってしまうそうです。
農家の労力を減らす工夫や技術開発は、まだまだコストダウンが追いつかず、設備投資をためらう農家が多いことも負担が減らない原因です。
いちご生産者が減少している状況でも、いちご農家をはじめる方もいます。足利市では来年度からUターンなど2戸の新規就農者がいるそうです。(取材・記事執筆 小川茉莉子)
参考資料
栃木県教育委員会 とちぎふるさと学習 とちぎのひと 仁井田一郎
http://www.tochigi-edu.ed.jp/furusato/detail.jsp?p=14&page=1
栃木県庁ホームページ 県内市町のいちご生産面積
http://www.pref.tochigi.lg.jp/g61/ichigo-seisanjokyo/sityousonbetu.html
関連情報
JA足利アグリランド(株)いちご農園
http://www.jaashikaga.or.jp/agriland.html
※この記事に掲載されている情報は取材当時(2016/02/25)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。
※見出し、記事、写真の無断転載はご遠慮ください。
コムラボ
最新記事 by コムラボ (全て見る)
- 足利の学校給食の今。なぜ「ロケットパン」は姿を消したのか - 2019年4月25日
- 足利で創業100年。親子3代続く稲葉納豆工業所 - 2019年4月1日
- 足利の学校給食で使われている牛乳パッケージの歴史をたどる - 2018年9月20日
コメント
トラックバックは利用できません。
コメント (0)
この記事へのコメントはありません。