© あしかがのこと。 All rights reserved.

『バンクーバー朝日』著者テッド・Y・フルモト氏インタビュー


20日に全国公開となる『バンクーバーの朝日』。この映画は実話に基づいて作られていることをご存知ですか?
今回は小説『バンクーバー朝日軍』の著者、朝日軍初代エース、テディ・フルモト古本氏のご子息であるテッド・Y・フルモト氏にインタビューを行いました。

>映画『バンクーバーの朝日』を鑑賞した感想を教えて下さい。

まずは、『バンクーバー朝日軍』の名前が日本中、世界各地にまで、「本」ではできない「映画」の力によって知れ渡った事が嬉しいです。
この本を書いたのは、バンクーバー朝日の歴史を風化させることなく伝える事が、亡くなった選手達との約束であり、自分のミッションであり宿命だと感じていたからです。
映画は、2時間12分という限られた時間の中で、登場人物は全くの架空の人物、そして1938年から1941年までの短い歴史としてバンクーバー朝日を描いたため、実話とは異なりますが、過酷な人種差別のなかを生き抜いた日系二世の姿は良く描かれ、バンクーバー朝日を中心としたその家族の映画として良くできていると思います。

>『バンクーバーの朝日』の撮影現場を訪問した際のエピソードなどを教えて下さい。

役者さん達に紹介された時、主演の俳優さん達が私の本を、「読みました。」「感動しました。」「泣きました。」と言ってくださって、史実を知った上で演技をして頂いたことをとても嬉しく思いました。
セットは実際のパウエル街とは違いますが セットの中を歩いていると、まるでバンクーバーにいるように感じました。

『バンクーバー朝日軍』を執筆するきっかけを教えて下さい。

1998年にカナダを訪問する機会を得ました。その時に、まだ生存されていたの方達と連絡がとれ、生存されているの方達から、「初代エース投手テディ・フルモトの息子」が帰ってくると大歓迎を受けました。そして、別れ際、朝日軍最後の正規捕手ケン・クツカケさんから、「私たちは片時も日本を忘れたことがない。日本の人達は私たちのことを知っていますか?」と聞かれました。私は、「いえ、残念ながらほとんどの人は知りません。」と答えました。すると悲しそうな顔をされ、「自分たちは高齢で、いつ死んでもおかしくない。自分たちが死んでしまったら、バンクーバー朝日の歴史は日本の人達には知られる事なく風化してしまう。それは、あまりにも忍びない。フルモトさんは初代エースの息子なのだから、本を書くとか、何とかして、歴史を伝えてくれませんか?」と頼まれました。そして、「分かりました。」と本を書く事を約束したのです。
2002年に自主独立し、会社を経営する傍ら本を書き続け、最初の小説『バンクーバー朝日軍』を2008年に書きあげました。

執筆・出版後のエピソードなどありましたら教えてください。

資料が少なかった点は苦労しました。とくに結成当初の資料がなくて、一部試合の結果のみが残っているような状態だったことは、一番苦労した事ですね。
執筆後まず言われたのが、無名な著者が、カナダの誰も知らない話を書いても売れませんよ、ということです。出版する時も、出版後もどこにも相手にされませんでした。
ただ、とにかく出版にまでこ漕ぎつ着け、大手書店をコネを頼りに回りました。そして、ある大手書店の役員の方にたどり着き読んで頂きました。その役員の方が感動されて、平積みで本を販売してくださったのです。その結果、偶然本を手にとり、読み、感動して私に映画化したいと連絡をしてきたのが、今回の映画のプロデューサーでした。

この本が伝えたい事はなんでしょうか?

大きく3つあります。

  1. バンクーバー朝日の歴史的活躍の事実を風化させないで日本中、世界中に伝える事。そこから希望と勇気を持ち続ける事がいかに大切かを学んで欲しい。
  2. 現代の日本人が失っている日本人の心、日本人らしさを取り戻して欲しい。良い意味での愛国心を持ち、日本国を愛し、そしてこれらを基軸として、日本を元気に、世界を平和で豊かにと、特に若い人たちに活躍して欲しい。
  3. 世界のキーワードは「平和」である。戦争は人々を不幸のどん底に突き落としてしまう。世界は「平和」でなくてはならない。

>12月5日に発売の続編『テディーズ・アワー』について教えて下さい。

カナダ・バンクーバーで生まれ、バンクーバー朝日オリジナルエース投手だった父は、26歳で朝日軍を引退後アメリカに渡り、アナウンサーとしての技術を習得しました。戦前に父は日本に入国し、NHKの英語アナウンサーになります。彼はバンクーバー生まれのため英語をネイティブスピーカーとして話し、日本語も流暢に話したため、カナダ国籍を持ったまま日本軍に徴用されました。その為敗戦後は戦犯の指名を受けました。しかし、父は、朝日のフェアプレー精神を貫いた人道的な放送を行っていたため、後に戦犯を許され、再び新たな人生を歩み始めます。色々な葛藤があったその時代の、二重国籍を持った父の、平和の為の葛藤を描きました。

最後に、足利の印象とメッセージがありましたら教えて下さい。

足利については、『足利学校』がある街ぐらいの印象しか持っていませんでした、すみません。初めてロケ地を訪問した際に、観光するつもりだったのですが、関係者・役者の方々に大歓迎を受け、市内観光ができずに終わってしまいました。観光ができなかった事は非常に残念だったので、ぜひ再訪したいと思っています。現在開催中の衣装展もぜひ見てみたいです。

そうだ、足利で「バンクーバー朝日」の講演会をぜひやりましょうよ!

>テッド・Y・フルモトさん 長時間ありがとうございました。

※足利でのテッド・Y・フルモト氏講演会の実現に向け現在準備を進めておりますので、楽しみにお待ち下さい。


※この記事に掲載されている情報は取材当時(2014/12/19)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。

※見出し、記事、写真の無断転載はご遠慮ください。

The following two tabs change content below.
アバター画像

早川 雅裕

あしかがのことでは、映像関連とスポーツを主に担当。 職業柄 「食」についても、たまに担当。 最近では、テレビドラマや映画にボランティアエキストラとして活躍中?? 野球暦 40年 まだまだ 白球を追いかけてます。

コメント

  • トラックバックは利用できません。

  • コメント (0)

  1. この記事へのコメントはありません。

ロケットパン

足利の学校給食の今。なぜ「ロケットパン」は姿を消したのか

足利で創業100年。親子3代続く稲葉納豆工業所

足利で創業100年。親子3代続く稲葉納豆工業所

保護者と子どもで決める放課後の過ごし方

遊べる場所が無いから作った 保護者と子どもで決める放課後の過ごし方「葉鹿学童クラブ」

旅猫リポート

第31回東京国際映画祭 足利撮影作品『旅猫リポート』取材

足利の学校給食で使われている牛乳パッケージの歴史をたどる

足利の学校給食で使われている牛乳パッケージの歴史をたどる

ページ上部へ戻る