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インタビュー 上西涼さん(元栃木ウーヴァ選手)


上西涼さん

ドイツのサッカーチーム「HilalBergheim(ヒラル ベルクハイム)」の選手として7月にドイツへと旅立ったJFL栃木ウーヴァの元選手、上西涼さんに、ドイツから一時帰国中のお忙しい時間の合間を縫ってインタビューに応えていただきました。

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いつ頃からサッカーを始めたんですか?

上西さん(以下敬称略):始めたのは小学校1年生頃です。父が「親父チーム」のような形でサッカーをやっていて、それを子どもの頃から見ていて父親のがんばる姿がいいな…と思ったのが、自分がサッカーを始めるきっかけでした。そこから小学生時代はずっとサッカーをやっていましたが、でもあの頃はプロサッカー選手になりたいなんて、思っていなかったですね。ただ楽しくプレイをしていました。

では、「楽しくプレイ」をしていたサッカーを職業にしようと考えだしたのはいつ頃だったのでしょうか?

上西:それは、本当に後の方です。大学生ぐらいですね。

東洋大学に行かれていますが、大学はサッカーを意識して選ばれたのですか?

上西:自分の中でのターニングポイントは中学生の頃で、この時に良い指導者と出会えたことでした。それまでは「地元のサッカーが強い高校に行ければいいかな」ぐらいのことしか考えていなかったんですが、その指導者に会えたことで実力も上がったし、将来のことも考えるようになりました。当時住んでいた大阪は高校間の競争が激しくて、どの高校も全国大会に出られるかどうかはわからない状態だったんです。そういう競争に巻き込まれてしまうよりも、少し田舎でも絶対に全国大会に出られる高校へ行ったほうが次のステップである大学にも進みやすくなるんじゃないだろうか…と考えて高校を選びました。

それは、大学への進路を中学生の時に考えていた、ということですよね?

上西:そうですね。でも僕一人で考えていたわけではなくて、親や指導者もアドバイスをしてくれました。この頃になると親も「サッカーを長く続けてほしい」とは考えていたんだと思います。ただサッカーを仕事にしろ、とまでは言われませんでしたが。自分自身も「「サッカーがやりたい」とか「サッカーを長く続けたい」という思いは強かったですが、そこまで細かくは考えていませんでしたよ(笑)。

そうして進学した大学では、サッカーメインの生活をされたんでしょうか?

上西:そうですね。でも大学の頃も、最初は「プロになりたい」という思いよりも「まわりの人に負けたくない」という気持ちが原動力になっていました。大学生になると身体つきもだいぶしっかりしてきて、そういう面で人より劣っていると悔しくもありましたし。だからこそ必死に身体づくりもしました。大学にもなるとサッカーをホントに好きな人やプロを目指している人が集まるので、だからこそそういった思いのない人はどんどんサッカーを辞めていきました。

まわりがどんどん強者ばかりになっていくわけですね…。そんな環境で、挫折感を味わったことはありましたか?

上西:試合に出られない日々が続いたことがあって、あの時は挫折感でいっぱいでした。自分としては毎日まじめに練習しているのに、なかなか試合に出られない。試合に出られないとプロから声もかけられないので、卒業間際になっても行くところがない状態でした。

4年生の後半にJFLのトライアウトを受けにいきましたが、経歴を見ただけで門前払い…ということも数多く経験しました。結局最後の最後で栃木ウーヴァにとってもらえました。栃木ウーヴァに決まったのは卒業間近の1月頃だったので、一般的な就職活動でいえば、卒業ギリギリに就職先が決まったのと同じですね。

栃木ウーヴァには大変な思いの末に入られたんですね。その後は社会人としてプレイをしていくわけですが、学生の頃と思いは変わりましたか?

上西:「サッカーをやる」という感覚は変わらなかったですが、知らない人がサポーターとして応援してくれるというのはやはり大きな違いでしたね。栃木ウーヴァ時代はチームからお金をもらっていなかったのでそういう意味ではアマチュアですが、選手みんなはプロ意識を持って試合をしなければと思っていたし、僕もプロ意識を持ってプレイをしていました。

2年間の栃木ウーヴァ時代で印象に残っていることはありますか?

上西:あります。7月後半のとても暑い時期にある強いチームと対戦した時、走ることができなくて結局2点取られて負けてしまった試合があったんですが、走れない僕等選手にサポーターの皆さんからとても厳しい、罵声にも近い言葉が飛んできました。その言葉はとっても悔しかったんですが、その一週間後の同じように暑い日の試合では相手と競り合って、最後に点をとって勝ったんです。その日サポーター席に挨拶に行ったとき、皆さんからまるでマンガのワンシーンのような応援、激励の言葉が降ってきて、鳥肌が立つほど感動したことは今でも忘れられません。この時に「あぁ、サッカーをやっていて良かった」と強く思いました。

強烈な印象ですね。ところで上西さんから見た足利市民サポーターはどうでしたか(笑)?

上西:最高です! 住まいは栃木市だったんですが、しょっちゅう足利に来ていました。選手をしながらやっていた営業の仕事で足利以外の周辺地域も色々と回りましたが、僕がサッカーをやっていることを話すと、足利は契約率が良かったですね(笑)。足利の方って、他の地域とはやっぱりちょっと違った市民性を持っていますよね。ここでは人との距離が近い気がします。足利のスタジアム(足利市総合運動場)の雰囲気も好きです。実は足利でやった試合は数えるくらいしか負けていないんですよ。「足利で試合をすると勝つ」なんてジンクスもありました。

2年間国内でプレイをされて、今回海外へ活躍の場を移されることになりましたが、海外へ行こうと思われた理由はなんですか?

上西:ひとつは今の日本代表選手に海外でプレイしている選手が多いことからもわかるように、海外の方がレベルが高いだろうということです。もう一つは人との出会いで、たまたま海外とつながりのある人と知り合えて、海外に行くきっかけができたことです。

つい先日までドイツに行かれていたんですよね?

上西:2ヶ月ちょっと行っていました。その間に所属チームを決めて、帰国して、ドイツのシーズンに合わせて改めて出発する…という予定だったんですが、チームが決まらなくて帰国を何回か延ばしました。ドイツでは練習に参加したりトライアウトを受けたりしましたが、自分をとってくれるチームがなかなかなくて悔しい思いをしました。日本で積み上げてきたものが全部崩れてしまうような気がして…それは辛かったです。

最後、このチームでダメだったら帰国しようとしていたチームに評価してもらえて契約が決まり、そこが決まると別のチームからも評価してもらえて。栃木ウーヴァが決まった時とおんなじで、今回も本当に最後の最後で決まりました(笑)。

ドイツでチームが決まった瞬間は、やはり嬉しかったですか?

上西:いえ、むしろ複雑な心境でした。チームは決まっても生活ができるかどうかわからなかったですし、言葉の問題もありますし。でも思い切って契約書にサインをしてしまいました。

ドイツにはどのくらいの期間行かれている予定ですか?

上西:契約は一年間なので、ひとまず一年はいます。現時点でもドイツ人プレイヤーたちに技術的には負けていない部分はあると思っていますが、ドイツ語がわからないなどのハンデはあるので、この一年で同じ土俵で評価してもらえる土台は築きたいですね。そこからはまた勝負ですが、28歳くらいまでいたいな、と思っています。身体面と技術面の総合的なピークが27歳から28歳くらいかなと思っているので、それまでは頑張りたいです。ドイツで名を挙げて、栃木に帰ってこられるといいですね。

最後に、「サッカー選手になりたい」という人が持っていなければならいことをひとつだけ挙げるとしたら、それは何ですか?

上西:選手までになると、大切なのは技術よりもむしろ気持ちだと思います。とにかく「諦めないでください」と言いたい。自分も諦めようかと考えたことはあったけど、結局あきらめなかったから次につながったと思っています。

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上西涼さんFacebookはこちら

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栃木ウーヴァFCについて

栃木ウーヴァFCは、1947年に日立栃木サッカー部として発足しました。その後2006年に地域密着のスポーツクラブとして栃木県南地域のスポーツの発展、地域貢献、そして子ども達に夢・希望・感動を与えられるチームを作ろうということでクラブチームとして活動を始めました。

全国より集まった所属選手は、各自の仕事を持ちながら週3回の夜間のトレーニングと土日の公式戦を戦っているアマチュアチームです。栃木ウーヴァはフロント、監督、コーチ、選手の全員が平日仕事をして、土日はサッカーで地域を盛り上げようと協力し合いながら活動を行っています。

そのような状況の中、今年度は新たに足利市が本拠地として加わり、リーグ戦を迎える事ができました。また来年から始まるJ3参入に向けて必死に頑張っています。皆さんの声援がピッチで戦う選手を一歩でも前へ走らせます。足が動かなくなっても、皆さんの応援が選手を最後まで走らせます。

こんな栃木ウーヴァと、栃木ウーヴァの選手たちと一緒にJリーグを目指して頑張りましょう。ぜひ応援を宜しくお願いします。

(栃木ウーヴァサポーター 春山勝義)

※ウーヴァとはポルトガル語で「葡萄(ぶどう)」という意味で、エンブレムには葡萄が描かれています。

足利市ホームゲーム  会場 足利市陸上競技場

  • 7月28日(日)14時キックオフ 栃木ウーヴァFC VS 横河武蔵野FC
  • 8月11日(日)14時キックオフ 栃木ウーヴァFC VS MIOびわこ滋賀
  • 10月27日(日)14時キックオフ 栃木ウーヴァFC VS Y.S.C.C.
  • 11月10日(日)13時キックオフ 栃木ウーヴァFC VS ホンダロックSC

※この記事に掲載されている情報は取材当時(2013/07/18)のものです。お気づきの点があれば、「あしかがのこと。」編集部へお問い合わせください。

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satoko motegi

satoko motegi

足利生まれ、足利育ち。坂西地区出身・在住。 大学・社会人時代は神奈川と東京で過ごすも、長女の出産を機に足利に戻り、現在は東京(職場)と足利を行ったり来たりの生活を送る。 二児の母。

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